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アメリカ上陸!!!

金沢~成田~サンフランシスコ国際空港

国際線だから、当たり前だがフライトアテンダントは外人だった。
アメリカの航空会社の客室乗務員は通常女性ではあるが、
体がかなりがっしりしている気の強そうな「外人のおばちゃん」ばかりだ。
こっちがものを頼むのが気が引けるほど、なんかこわい。

  客室乗務員のステータスがここまで高く、若い女の子に一番人気の職種
  として認知されているのは、日本くらいのものだ。
  ということを知ったのは、これからかなり後のことだ。

生まれて初めての飛行機は満員だった。席は3人席の真中で
しかも両側は二人とも日本人だった。アメリカへ行く日本人は
自分一人だ、くらいの気持ちでいたので、機内の日本人の多さは
ちょっと意外だったことを覚えている。

(この意外さにこの先しばらく苦しめられる事になるとはその時は
想像もしていなかったのだが・・・)

アメリカ方面の国際線は夕方~夜にかけての出発の便が多いので、
boarding後、しばらくするとすぐに夕食が出てきて、すぐに消灯になる。
夕食のドリンクは、安っぽいプラスチックのカップで出され、ご飯は
お世辞にもうまいとは言えず、でもお酒とかも飲み放題で、良くも悪くも、
何もかもが初体験だった。

こういう状況の中、英語がまったく話せなかった自分は、ドリンクを
聞かれるたびに、"Orange juice"と聞かれるたびにオレンジジュース
を注文していた。横に座っていた日本人の男の人に、
「オレンジジュース好きですねえ」とからかわれながらもサンフランシスコに
到着するまで4,5回は”Orange juice”と答えていた。
別にオレンジジュースが特別好きなわけではなかったが、
かぜを引いていたのでビタミンの補給になるかなと思ったのと、
最初に聞かれたときにとっさに注文し、普通に通じたので、
他のものを頼むのが(というより、他の言葉を発音するのが)こわかったから、
最後までそれで通した。


それくらい英語ができなかった。

でも不思議とそのことに対する不安はその時はなかった。
その感じていた理由は良くはわからないが、こわいもの知らず
だったように思う。でもそれが逆に良かった。
じゃないと、それまでの仕事を辞めて、25直前でアメリカへ行こう、
なんて思いきれなかったはずだ。
「迷ったら前へ」の精神が自分の中で少しづつだが育ちつつあった
ように思う。

消灯時間がおわり、機内の電気がついた。
もうすぐサンフランシスコだ。

diBec誕生まであと14年と9ヶ月と29日

To Be Continued ・・・・・

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今日2006年5月2日のうれし事:
お世話になっている社長さんからおいしいお酒が
入ったので今度みんなで飲みに行こうって誘われた。
起業家の大先輩の社長さんからじきじきに、飲みに
誘われるのは本当に光栄だ。深謝です!







コメント

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