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2006年05月26日

初めてのルームメートはシリア人

語学学校の話しが続いたので、今日はルームメートの話を少し。

アメリカに滞在した7年間で、本当に色んな国から来た色んな人と
生活しました。今思い出せるだけでも、アメリカ人はもちろんのこと、
香港、タイ、コロンビア、ドイツ、クェート、チュニジア、インディアン、
などなど。本当にアメリカっていう国は、人種のフルーツバスケットです。
このように、言葉も生活習慣も宗教も食べるものも考え方も目的も、
ありとあらゆる事が違う人達と同じ空間を共有し、本当に貴重な時間を
共に過ごした。色んな話しをしたり、遊びに行ったり、バーへ飲みに行ったり、
一緒に勉強したり、目標を語ったり、英語をお互い直したり、その他色々。
こういう経験を通して、時間を過ごせば過ごすほど、相手が異国の人間だ、
という意識が段々薄れていき、相手との違いを理解しつつも、同時に
本当に1人の人間として付き合うことができるようになる。
ぼくはこういう意識こそが、本当の、 「国際感覚」だと思います。

で、この先出会う色んな国から来たルームメートの、第一番目が、
シリア人だったわけです。中東の。そん時は、正直世界のことなんて、
ほとんど何にも知らないような人間だったので(今もそんなに知らないですけど)
シリアがどこにあるのかも、どんな国なのかも、何語を話すのかも、
なんでそんな国の人間がアメリカにいるのかも、全然わかんなかったですね~。

彼は確か18か19くらいで、向こうの高校を出て、すぐにアメリカに来たんだと
思います。まあ、その時は英語も全く話せないですし、相手の状況がどうとか、
って考えるほどの知識も余裕も好奇心もなかったんで、彼のバックグラウンドは
ほとんど聞かなかったですねえ。というか、その頃は、みんなどういう目的で
アメリカに来てるのかっていう事をほとんど考えてなかった。というか、そういう
質問が思い浮かばなかったように思う。本当に今以上に無知だったなあと
つくづく思う。

中東の人間なので、イスラム教なわけですね。もちろん、それまで約25年間
金沢のいなかで生きてきてたので、金沢にイスラム教の人なんてほとんど
いないだろうし、外人=アメリカ人、っていう、どうしようもない田舎もの
だったので、シリア人っていうのはわけわかんなかったですね。
しかも、そいつが、本当に自己主張の塊みたいなやつで、
後にも先にも、あいつが自分が会った人間の中で、一番自己主張が強い。
何でもかんでも自分の思い通りにしようとするから、ほんまに疲れる
やつやった。
ある日曜に、英語学校の週末のイベントかなんかで、みんなでバスのって
動物園か何かに行くっていうのがあって、おれ興味ないから行かないっていったら
2時間くらいやつの説得にあった。ふぅ・・・・・、って感じでしたね。
まあ、結局行かんかったんやけど。
それくらい自己主張の激しい人間やった。
で、中東のアラブ系の人間って、こんな人間なんや、っていうかなり強烈な
先入観をその時に持ちましたね。(まあ、後で、そうじゃない、っていうのも
わかったんやけど。)

こんな感じで、アメリカ留学は、学校はおもんない、ルームメートは
ミスター自己主張、英語はでけん、って感じの、かなり幸先悪い
出足でしたあ~。

それでは続きはまたあとで。

To Be Continued・・・・・

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2006年5月23日~5月26日のうれし事

今週は、日頃からお世話になってる県の新産業振興課の
お二方にまたまたお世話になってしまった。月曜は宮城大学の
方々と会わせてもらって、水曜も、前に一度お話しさせてもらった
コンサル会社の社長に会えるように取り計らってもらった。
宮城大学で月曜にお話しさせて頂いた方々もそうやし、
水曜に相談させてもらった社長もそうやし、本当に色々相談に
のって頂いて、ただただ深謝って感じです。もちろん、
県の方々も。この場を借りて、改めて感謝です!!!

あと、ブログに色々コメントいただいて、本当にありがとうです。
毎日更新できてないのが、本当にあかんですね・・・。
でも、本当に読んでもらってて、ありがとうございます。
この場を借りて、改めて感謝その②です!!!!!

2006年05月23日

アメリカの語学学校④

本当にやばいという思いにかられ、どうしようかなあ、って
感じで手紙を出しました。
その当時はメールがなかったら、手書きですよ。
ほんまに何をするにも時間がかかってたなあ、あの当時は。。。

彼女からの連絡はなかなか来なかったので、それはもう少し
後で届くことになるので、その間別のこと書きます。
今日は語学学校の本質的なことを書きます。

留学して、語学学校へ行くと、英語が話せるようになると思ってる
人が日本には山ほどいる。留学=語学学校、という公式しか
知らずに留学する人が本当に多い。実はおれもその1人でした。
留学を薦める側のいわゆるカウンセラーにも、語学留学とか
ワーキングホリデー、みたいな半分遊びみたいな留学しか
したことが無い人が多すぎる。だから、何も知らない留学前の
人からすると、カウンセラーの話が留学が全てなので、語学学校や
ワーキングホリデーといった留学なのか遊学なのかわからない
ものについ乗っかってしまう。本人がそれでよくて、留学戻ってきて
からも、「ああ、語学留学してよかったなあ」て思ってる人は、
それで全然いいと思うし、それはそれで幸せなことなんやろね。

でも、自分がしてほしい留学は、それとは全く違う。
学位を取ってほしい。学位を取るための留学を、学生や、あるいは
社会人でキャリアアップを目指している人には、してほしい。
習得できる語学力と専門知識、経験、自立心、バイタリティ、などなど。
数え上げれば枚挙にいとまがないが、語学留学やワーキングホリデー
で得るものとは圧倒的に差がある。もし、人生をかけて、
学校を卒業したあととか、あるいは会社を辞めて、留学しよう、と
思ってる人がこれをもし読んだなら、学位取得のための留学、大学留学、
大学院留学をぜひ考えてほしいです。
語学学校へ行くだけの留学では、将来にはそう大きく結びつきませんので。

自分もアメリカのその語学学校にいる時は、本当に英語がうまくなったとは
思えませんでしたしねえ。まあ、最初は英語ができないので、英語学校へ
絶対行かないといけないですから、それはしょうがないんですけど、
そこで終わりにしないで、次へ次へと進んでいってもらいたいです。

今振り返ると、本当に強くそう思います。

今日はこんな感じです。

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2006年5月22日のうれし事

最近、これは?!、と思う本。岡本太郎さんの、
「自分の中に毒を持て」っていう本。かなりおもしろい。
おれあの人ちょっと勘違いしてたような気がする。
もう少し早く気がつきたかった。かなり共感できる
部分がある。まだ半分ちょっとしか読んでないけど、
バイブルの1冊になりそう。かなり厳しい内容やけど。

2006年05月21日

アメリカの語学学校③

とにもかくにも、状況はともかく、語学学校へ通い始めた。
高校を卒業して丸6年。学校という名がつくものには、
全く通ったことが無かったので、6年ぶりに学生をやることになった。

でも、これがまた、新鮮でしたねえ。本当に、高校を卒業するまでの、
いわゆる「学校へ行く」という感覚とは全く異質のものでした。
自分がやりたい事をやりにいくわけで、「学校へ行く」というより、
まさに「自分のために、何かを学びに行く」、という感じでした。
こういう気持ちは、その時からずーーーーーーーーーーーーーーっと、その後
大学行った時も、大学院行った時も、働いてる時にちょっとした
ビジネススクール通った時も、日本もどってきて、スペイン語の学校ちょっと
通った時も、早稲田で社会人向けのスクール通った時も、この間
キャリアアドバイザーの学校通った時も、同じ感覚を持っている。
これはすごーーーーーーーーーーーーーーく大事なことで、自分みたいな
学生の時は落ちこぼれで、勉強も嫌いででけんかった人でもそう
感じられるようになるんやから、世のほとんどの人は自分なんかよりも、
できる人ばっかりやと思うから、絶対、ほんとにたくさんの人が
「学ぶことが好き」になれるはずやと信じている。ま、これがうちの会社の
目的の一つでもあるわけですけどね。

ま、とにかく、こんな気持ちで、24歳の学生が誕生した。

でも、はっきりいって、授業の内容はつまんなかった。
大体朝の8時くらいから午前中に3時間くらいと、
午後に2時間くらいの授業時間でしたね。
文法とか、長文読解の授業がほとんどやったんやけど、
日本人には簡単すぎた・・・。自分が入ったレベルが低かった、って
ことだったんでしょうね。
でも、学びに行くことの新鮮さもあって、自分でも不思議なくらい、
気合い入れてむっちゃ英語の勉強はしましたね。
土日も部屋でやってましたね。

でも相変わらず自分が思い描いていたような
「アメリカに来たあ!」って環境にはならず、
毎日結構焦ってましたねえ。
というわけで、実はネブラスカに来てから1週間ほどかなあ、
飛行機の中であったコロラドに行くっていってた、同じ
金沢出身の女の子に手紙を書いたんですよね。
内容は、というと、

「こんにちは。覚えてますかね。飛行機の中であったものです。
こんにちは。元気ですか。コロラドはどうでしたかあ。
実は相談があります。今いる、ネブラスカの語学学校は
日本人が多すぎて、アメリカ人と接するチャンスもあまりなく、
このままではうまく行かない気がします。ので、あなたが行った
コロラドの語学学校を紹介してくれませんかね。」

って、こんな感じやったと思います。これのもっと、切羽詰った感が
あった感じの内容やったと思います。
で、手紙を彼女に出しましたあ~。

どうなるんやろう、おれ・・・・、って感じでしたね。毎日。

To Be Continued・・・・。

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5月15日~5月21日までのうれし事

今週はかなり盛りだくさんやったなあ。ちょーつかれた。
水曜に市内の公立高校で、なんと高校生相手にまた
講演会みたいなことをやらせてもらった。役に立ったんかなあ・・・。
で、木曜は、お世話になってる会津のIT系の社長さんと、
そのお友達の社長さん達と色々話しさせてもらった。5人で飲みながら
話しさせてもらったんやけど、4人とも、すごい人やった。まじで。
話しはおもろいし、スケールでかいなあ、って感じた。あの人達が
100やとすると、おれはまだ3くらいかなあ、みたいな。
でも、またいい刺激になった。
で、その翌日山形の天童の高校で、また講演会みたいな。
今度は保護者対象に。しかも、保護者対象のそういう合同進路
相談会の一環としておれが講演する、みたいな。
なんか、体育館とかに100人近い保護者の人らが来てて、
壇上にあがって、講演、って。かなり本格的なセッティングやった。
話しが保護者の方々にどこまで役にたったかはわからんけど、
またまたいい経験でしたね。で、昨日は天童から夕方かえってきて、
そのまま夜はCDA仲間と飲み会。で、いい時間過ごせました。
来週からまたがんばろ!

アメリカの語学学校②

アメリカの語学学校へ入学した。
といっても、既述したように、
日本人の男9人+韓国人の女の子1人=自分が最初に入ったクラス、
という、自分がまったく予想していない状況になってしまった。
しかも、ルームメートはシリア人だったので、本当にアメリカ人と
接する機会は、はっきりいって最初はほとんどなかった。
今思い出しても、ほんまにつらい状況やったなあ・・・。

日本人がアメリカやあるいは海外へ留学するさい、
「アメリカへ行けば、周りがみんなアメリカ人で、英語漬けの
環境になる」と考えがちだが、現実は全然違う場合がおおい。
特に語学学校へ留学する人には本当に気をつけてほしい。
はっきりいって、海外で英語を学ぼうとしても、日本人が
本当にどこへいってもたくさんいる。これは不可避な事実で、
これをちゃんと認識した上で留学してほしい。自分のような、
留学希望者を送る側の立場の人間も、現地の情報を、できるだけ
正確に伝える必要がある。

自分のアメリカ滞在経験から言うと、英語を学ぶさい、特に最初の2年
ほどの間、何が一番難しいかったかというと、
「四六時中英語を使った会話ができる環境に自分を置く」
ということでした。語学の上達の難しいところは、 相手が必要である
ということだと思います。しょっちゅう、英語で会話ができる相手を
見つけることが、最初の2年ほど中々できなかったです。英語ができないので、
中々アメリカ人の友達ができませんでしたねえ。(まあ、これは英語の問題というより、
アメリカ行ったころの自分の性格的なものも大きく起因してると思いますけどね。)

あと、日本人がよく勘違いしがちなのが、英語学校にしばらく行っていれば、
英語がかなりうまくなれる、ということです。これは、かなり事実と反しますね。
まあ、日常会話程度は、ほんの多少ですけどできるようにはなると思いますけど、
本当に語学力を本格的に仕事に活かしたい、という希望がある人には、
本人が思っているほどの語学力、あるいは企業が求めるだけの語学力は
なかなかつかないと思ったほうがいいと思います。ですので、語学留学した人が
その後、ちゃんと就職できない人が多い理由という一つがここにあると思います。
ワーキングホリデーで身につく英語力も、おんなじようなものですね。
うちが、OLや社会人相手の単なる安易な語学留学や、ワーキングホリデーを
一切扱わず、大学・大学院留学にこだわっているのはこの理由からです。

まあ、ですので、留学当初からこういう状況だったんで、語学学校行った初日から、
とにかくここにいては、まじでまずい、という思いで、ここからの脱出を
ずーっと考えてました。

さてさてどうなることやら・・・。

To Be Continued・・・・。

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5月8日~5月14日までの間のうれし事
ちょっとワープ。8日に、ちょーひさびさに、
宮城県の産業振興機構が実施している
実践経営塾に、県の担当者からの依頼で、
参加した。これは、事業について、10人ほどの
経営の専門家のこわい先生方(?でもいい先生方です)に、
無料で2時間という長時間(!)アドバイスをしてもらえるというものです。
設立して3ヶ月ほど経ったので、その現状報告と、今後について
アドバイスをもらいに行きました~。まあ、前にもちょっと
書いたことあるけど、忌憚なく厳しいこと言ってくれる人が
周りにいる、っていうことは本当に大事なことやと思うので、
感謝したい。でも、神田昌典さんも言ってるけど、
「単なる批判は絶対に受け入れる必要がない」って。おれもそう思う。
自分がちゃんとした考え方を持っていれば、全く違うことを言われて、
自分がどうしても納得できないことは、全く聞く必要が無いと思う。
これからもそんな感じでいこうと思う。

2006年05月14日

アメリカの語学学校①

そんなわけで、クリートのDoane Collegeの
付属の英語学校へ通いはじめた。

前日の夜到着して、かぜっぽかったので、
ルームメートとの会話もそこそこに、
(このルームメートがまたくせもので。これはまた後で話します)
翌日のクラス分けのテストのために寝た。

アメリカの英語学校へ行く場合、大体日曜に着いて
月曜にテストをうけて、授業が始まる、というパターンが多い。

そして翌日とにもかくにもテストを受けるために
キャンパス内にある英語学校のオフィスへ行った。
やけに日本人が多いなあ、とやや不安になりながら、
テストを受けた。小論文みたいなライティングのテストと
文法のテストだった。合計1時間ほどかな。
英語力がほとんどない自分は、学生の時の受験勉強の
ほんのかすかな記憶をたどって問題をといていった。
結果は、5クラス中丁度真ん中のレベルのクラスに入れられた。
日本人のパターンに多い、話すことはほとんど出来ないけど、
読み書きはいちおちょっとくらいなら出来る、ということで、
真ん中のクラスくらいの力があったようだ。

で、いよいよ授業。

「日本人がいない所に行きたい」、というただ一つの希望を
業者さんにお願いしてあったのだが、なんと、そのクラスは、
10人中9人が日本人!しかも全員男。
で、韓国人の女の子が1人。
ええええええええええええ・・・・・・・・・。って感じでした。

クリートという町自体にはほとんど日本人はいない。
というか、アメリカの中西部と呼ばれる地域は、住民の
80~90%が白人だ。大学に通う学生もほとんどが
白人のアメリカ人。大学で勉強している日本人には
本当にいい環境だと思う。

でも、英語学校は違っていたのですよ・・・。
本当にまいったなあ、って感じでした。25になる直前の
5年以上社会人経験があって、自分の人生をかけて英語を
マスターしにきた人間にとっては、かなりの焦燥感を感じざるを
得ない状況でした。

これはやばい、とアメリカ留学初日から危機感を募らせてました・・・。

To Be Continued・・・

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2006年5月7日(日)のうれし事

今日東京から友達がオフィスを訪ねてきた。
彼女は商船大学を出て、船がとにかく大好きな
ちょっと変わった人です。でも、正義感あふれる
人間で、なかなかおもろいやつだ。1時間ほど
しゃべったけど、かなり元気をもらった。お互いがんばろ。

アメリカ最初の町 ~ネブラスカ州クリート~

デンバー到着の翌朝、いよいよ最終目的地である
ネブラスカ州クリートへと飛び立った。
ネブラスカという州は、アメリカのほぼ真ん中に位置する、
かなり田舎の州です。その州の中でもかなり田舎の
町であるクリートというところが自分の留学経験の出発地点と
なった。

クリートという町は、人口わずか6000人!!のほんとに小さな町で、
はっきりいって何にも無い町です。カリフォルニアやニューヨークを
イメージしている留学希望者にはお勧めはしませんが、
ほんとにアメリカという広大な国の本当に小さないなか町で勉強に集中
したい人にはかなりお勧めできる場所かも。
ただし、くどいようですけど、何にもないです・・・。

ただ、「この町には何もない」、ということを本当に自覚したのは、数年たって、
カリフォルニアのもっと都会の街へ住み始めてからでしたねえ~。
クリートがアメリカで住んだ最初の場所だったので、他の場所を知らないから、
自分の中では、アメリカ=クリート、という公式が出来てしまい、まったく
いなかだとも、何も無いとも感じなかった。まあ、金沢から出てきたいなかもの
なので、余計そう感じたのかも。

「住めば都」、というのは本当にそうだと思う。アメリカへ行ってから、
7年間で5つの違う州に住むこととなって、それぞれ良いところがあり、
5つの州それぞれに思いいれがある。留学希望者のカウンセリングを
すると、「カリフォルニアじゃないといや」とか「都会じゃないといや」
とか、「寒いところはちょっと・・・」というような人が本当に多い。でも、
しばらく住んだことのある人ならともかく、全く初めて、しかも長期的に
行く人は、場所自体にはそれほどこだわる必要はないと思う。逆に
こだわらない人がほうが、現地の生活に順応しやすく、うまく行く
ケースが多いように思う。

なにはともあれ、アメリカ生活がスタートしました。
英語が全く出来ない自分は、まずは、クリートにあるDoane College
という私立の大学の付属の英語学校に入ったわけです。

To Be Continued・・・

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2006年5月6日(土)のうれし事
うーん、これといって今日は何も・・・。
何もないのも幸せな証拠かな。明日もがんばろ。

2006年05月06日

アメリカ最初の夜

英語がわかんない!!!

1990年2月20日午後5時すぎ。

前日に引き続き、日付はいまだに2月20日のまま。長い2月20日やあ~。

実は今回のアメリカ留学の手続き全ては大阪に本社がある、某
留学業者さんにお願いしてあった。なので、目的地ネブラスカ州クリートまでの
旅程、チケット手配、ビザ取得、等、自分は一切タッチしておらず、全て
業者任せにしてあった。アメリカへ行きたい、という気持ちがあるだけで、
アメリカへどういうふうに行けばいいのかまったくわからず、しかも広いアメリカの
どこへ行けばいいのかなんていう知識や情報はまったくゼロだった。
しかも渡米直前まで資金稼ぎに朝から晩(というか深夜)まで働きづめだったため、
時間もなく、全て他人に任せてあった。この事が、のちの自分のキャリアにもつながるのだが・・・。

さて、デンバー到着後は、業者手配済みの空港近くのホテルに滞在することに
なっていたので、ホテルに行くための送迎バスに乗る場所を、例のごとく
かたことの英語で聞いて、バスに乗り、何とかホテルに到着した。

金沢を出発してすでに30時間近く経っていたと思う。

出発前に業者から渡されたホテルの予約確認書のようなものをフロントの女性に渡し
キーをもらい、部屋に向かった。部屋の番号は覚えていないが、部屋の様子は今でも
鮮明に覚えている。部屋は広めのシングルルームで、赤いじゅんたんだった。入って
左側に鏡台のようなものがあり、右奥にベッドがあった。シングルの割りに広いな、
という印象だった。

荷物を置いてベッドに、どさっ、って感じて仰向けになった。
「アメリカかあ~」って感じだった。疲れはなかった。デンバーに着いてから、会う人みんなが
外人ということもあり、心地よい緊張感と興奮と、これから一人でがんばってくんや、という
気合いみたいなものが入り混じっていた。

すでに午後7時近くになっていたので、ご飯を食べにいくことにした。
ホテルの真横にマクドナルドがあったので、ジャンクフード好きな自分は
迷わずマックへ行った。カウンターに黒人のなんかこわそうな姉ちゃんが
いて、びびりながら注文をした。

Tada  "No.2, please."
黒人 "○☆△□@"
Tada  "・・・・。。。。"
黒人 "☆※△○◎@*×※"
Tada  "・・・・・・・・・・・。。。。。."
黒人 "□☆※∞○◎@ *×※!!!"

げえー、まじで何を言っているのかわかなかった。
しかも黒人女はなんかだんだんイライラしてるみたいやし。
マックでハンバーガー食べるだけなんに、何をこれ以上
聞かれることがあるんやろう、って感じやった。
この変なアジア人はどうしようもないな、って感じで、
黒人女は、店内を指差しながら、
"○☆△□@"
で、入り口のドアを指差しながら
□☆※∞○
となにかまた言った。
それで、やっとわかった!
「お前はここで食べるのか、それとも持って帰るのか」、
と聞いてたのだ。
「持って帰る」ってtake out、ちゃうんかいやあ、と思いながら、
でもtake outとは絶対言ってないよなあ、と思いながら、ドアを
指差した。"Door"、って言うわけにもいかんから、なんもいわんで、
とにかくドアを指さした。

後で思えば、きっとその時は、
"Here or To go. (ここで食べる?それとも持っていく?)"
と言っていたんだろう。

なんか大きな失敗でもしたような思いで、意味もなく、 走って部屋に戻ってきた。
きっとあのマックの黒人女から逃げてきたかったんやろう。

これほど英語はできなかった。。。
こんな感じでアメリカ最初の夜が更けていった。。。

明日はいよいよ目的地や。

To Be Continued ・・・・

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今日2006年5月5日のうれし事:
今日亀田兄弟の試合をみた。圧倒的に強かった。
スピードと動体視力がけたはずれやと感じた。
小さいころから毎日やってることの積み重ねや。
性格は好きやないけど見習うべきところがある。
兄貴はチャンピオンになるんは当たり前やろう。
何回くらい防衛するかやねえ。具志堅ぬけるかなあ。
どうなっていくんかちょっと楽しみや。

デンバーへ

アメリカの土を踏む

サンフランシスコ国際空港での記念すべき4時間の滞在をおえ、
次はコロラド州の州都であるデンバーへと向かった。

この日はデンバー到着後1泊して、翌日早朝の国内便で、
クリートへ向かうのだが、今となって思えば
初めて飛行機にのる金沢から出てきたいなかのあんちゃんには、
かなり無謀な旅程と言える。だって、目的地に着くまでに合計2日近く
かかり、2回乗り換えして、1泊して、早朝の飛行機で、と、
英語ができない人間にはあまりお勧めできないスケジュールだった。
そんなことは当の本人は全くわからず、本当にこわいもの知らず、というのは
ある意味幸せなことだと、つくづく思う。
大人になるにつれて、色んなことに臆病になるのは、色んなことを経験して、
色んなことを知りすぎるからなんだろう。
何にも知らないのも考えものだが、知りすぎるのも必ずしも良いことでは
ないのかも・・・。

デンバー行きの飛行機に乗るためには、空港の外にあるバスで移動
しなければならなかった。もちろんそんな事は知らず、インフォメーション
デスクみたいなところで、とにかくチケット見せて、デンバーへ行きたい、
という切実な思いを、どういう英語で伝えたかは全く覚えてないが、
とにかく伝えた。外のバスか何かに乗らなければならない、というところまでは
わかったが、外のどこへ行けばいいのか結局わからず、とりあえず外へ
出た。人が集まっているところへ何となく歩いていき、そこにいる日本人らしい
女の子におそるおそる話しかけると、案の定日本人で、しかも
金沢から来てるという子だった。どうやら同じ便で成田からサンフランシスコに
来たらしい。しかも、デンバーへその子も行くことがわかり、ということは
もちろん同じ便だった。その子と一緒に、デンバー行きの便にのるための
ゲートへ向かい、無事飛行機にのることができた。

偶然にもその子とは機内の席も隣同士で、デンバーまでの2時間
話しをした。彼女は大学の時に、コロラドのデンバーから車で
2時間弱ほどのフォートコリンズという街でホームステイをしてたらしく、
今回はそのホストファミリーのところに遊びにいく途中だった。アメリカには
1年弱ほど滞在したらしく、前日にはじめて飛行機にのったいなかものとは、
落ちつきがまったく違っていた。こんなやつがこれから留学するんやからなあ・・・。
英語もかなりできたようで、英語ができる人が本当にうらやましい、とその時初めて思った。

英語ができる日本人に対するうらやましさと焦燥感みたいなものは、
その後2年間ほど、抱きつづけることになる。

その彼女とは名前と住所を交換した。このことが実はそのすぐ後に
多少大きな意味を持つこととなる。

2時間ほどのフライトで、ついにコロラド州デンバーの空港についた。
そして、初めて空港から出て、アメリカの土を踏んだ。夕日がきれいな夕方だった。
時差ぼけはなく、妙に気持ちが興奮していた。

To Be Continued・・・・

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今日2006年5月4日のうれし事:
楽天今期2度目の2連勝で9勝目。
愛敬、登板106試合連続負け無しの記録更新。よし!

サンフランシスコ国際空港~デンバー

サンフランシスコ国際空港に到着したのは
同日2月20日の朝の9時ごろだった。

初めての外国。初めてのアメリカ。そして初めての国際空港だった。
空港の大きさときれいさにまず驚いた。掃除が行き届いていて、
本当にクリーンだった。自分の空港好きはその時以来だ。

空港に着いて、同席だった2人の日本人と空港のレストランで
朝食を食べに行った。この2人は、学生の女の子と旅をしている
男の子だった。年もほとんど同じくらいだったと思う。
他の2人も自分同様外国にはあまり慣れていなかったんで、
レストランも日本食のレストランに入った。アメリカ上陸最初の
食事が日本食レストランのうどんだった。
ちょーまずかった。サンフランシスコの空港へはその後何度か
行っているが、このレストランには二度と入っていない。

まずいうどんを食べてから、トイレにいった。
そこで初めてアメリカの公衆トイレはドアの下のほうが無いことを
知った。トイレの広さも日本とは全然違う。
ドアの下がないのは、まじとまどった。「壊れてるんか、このドア?」
と思うくらい違和感があった。
だって、ねえ、下からのぞけるんですよ、そうしようと思ったら・・・。
まあ、そんなやつには、結局7年の滞在で1度もあってないけど。
でも、このドアに慣れるのにはしばらく時間がかかった。

同席の日本人とはその後すぐに別れた。それぞれの目的地へ向かった。
彼ら2人がどこへいったかは覚えていない。
自分は、最終目的地のネブラスカ州クリートという自分でも一体それが
アメリカのどの辺にあるのかもよくわからない街へたどりつくために、
デンバー行きの飛行機に乗らなければならなかった。

初めてのサンフランシスコ。滞在時間4時間。
行った場所、まずいうどんを出すレストランとトイレ。

さあ、次はデンバーや。
どこなんやろ、デンバーって・・・・・。

diBec誕生まであと14年と9ヶ月と29日

To Be Continued・・・

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今日2006年5月3日のうれし事:
今日からGW。おれは休みちゃうけど、何となく
お休み気分でうれしい感じ。でも普通に仕事してるんやけど。。。
気分だけでも、GW!

 

2006年05月05日

アメリカ上陸!!!

金沢~成田~サンフランシスコ国際空港

国際線だから、当たり前だがフライトアテンダントは外人だった。
アメリカの航空会社の客室乗務員は通常女性ではあるが、
体がかなりがっしりしている気の強そうな「外人のおばちゃん」ばかりだ。
こっちがものを頼むのが気が引けるほど、なんかこわい。

  客室乗務員のステータスがここまで高く、若い女の子に一番人気の職種
  として認知されているのは、日本くらいのものだ。
  ということを知ったのは、これからかなり後のことだ。

生まれて初めての飛行機は満員だった。席は3人席の真中で
しかも両側は二人とも日本人だった。アメリカへ行く日本人は
自分一人だ、くらいの気持ちでいたので、機内の日本人の多さは
ちょっと意外だったことを覚えている。

(この意外さにこの先しばらく苦しめられる事になるとはその時は
想像もしていなかったのだが・・・)

アメリカ方面の国際線は夕方~夜にかけての出発の便が多いので、
boarding後、しばらくするとすぐに夕食が出てきて、すぐに消灯になる。
夕食のドリンクは、安っぽいプラスチックのカップで出され、ご飯は
お世辞にもうまいとは言えず、でもお酒とかも飲み放題で、良くも悪くも、
何もかもが初体験だった。

こういう状況の中、英語がまったく話せなかった自分は、ドリンクを
聞かれるたびに、"Orange juice"と聞かれるたびにオレンジジュース
を注文していた。横に座っていた日本人の男の人に、
「オレンジジュース好きですねえ」とからかわれながらもサンフランシスコに
到着するまで4,5回は”Orange juice”と答えていた。
別にオレンジジュースが特別好きなわけではなかったが、
かぜを引いていたのでビタミンの補給になるかなと思ったのと、
最初に聞かれたときにとっさに注文し、普通に通じたので、
他のものを頼むのが(というより、他の言葉を発音するのが)こわかったから、
最後までそれで通した。


それくらい英語ができなかった。

でも不思議とそのことに対する不安はその時はなかった。
その感じていた理由は良くはわからないが、こわいもの知らず
だったように思う。でもそれが逆に良かった。
じゃないと、それまでの仕事を辞めて、25直前でアメリカへ行こう、
なんて思いきれなかったはずだ。
「迷ったら前へ」の精神が自分の中で少しづつだが育ちつつあった
ように思う。

消灯時間がおわり、機内の電気がついた。
もうすぐサンフランシスコだ。

diBec誕生まであと14年と9ヶ月と29日

To Be Continued ・・・・・

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今日2006年5月2日のうれし事:
お世話になっている社長さんからおいしいお酒が
入ったので今度みんなで飲みに行こうって誘われた。
起業家の大先輩の社長さんからじきじきに、飲みに
誘われるのは本当に光栄だ。深謝です!







1990年2月20日

いざアメリカへ!

<前書き>
今日からちょっと内容を変えます。コメントの中のリクエストにもあったように、
留学したきっかけ、留学中の話し、などなど、会社を設立するまでに至った経緯を
留学した日に遡って、色々書いていこうと思います。留学以外の色んな経験も
書いて行きたいと、思いますので、みなさん読んでみてください。では始めますね!!!

その日の金沢は朝から大雪だった。
小松空港へ向かう車の中で、飛行機に間に合うのかな、
とぼーっと考えながら、今にして思えば、人生の最大の転機と
なる日を向かえていた。

今日、生まれて初めて日本から出る。
今日、生まれて初めて外国へ行く。
今日、生まれて初めてアメリカへ行く。

といったような意気込みやタイトルにあるような気合、緊張などは正直全くなかった。
アメリカへ行くというのに飛行機も乗ったことがなく(実はこの日まで飛行機さえ
乗ったことが無かった・・・)、英語もまったくしゃべれない、金沢出身のいなかのあんちゃんは、
あまり先のことは深く考えずに、乗りかかった船に身をゆだねるがごとく
ユナイテッド航空の国際線からアメリカへ飛び立った。

その時、24歳と10ヶ月。

でも、その時には、その後7年間もアメリカに滞在することも、英語が全くできなかった人間が
通訳をするようになることも、ましてやその何年か後に自分で会社を興すことなど、
夢想だにしていなかった・・・。
人の人生というのは本当にわかんないものだ。

diBec誕生まであと14年と11ヶ月

To Be Continued・・・


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今日2006年5月1日のうれし事:
うれし事がどうかわからんが、今日県の産業振興機構から
実践経営塾への参加を要請された。具体的な販促戦略の
支援をしてもらうために引きうけた。がんばるぞ!

2006年05月01日

Looooooong Time No See !!!

4月8日~4月30日

大変久しぶりのupdateになってしまいました。
お叱りのコメントまでもらってしまって、
気を取りなおして今日からまた更新するぞ!

というわけでここ最近の出来事をまとめて書きます

4月8日
ラジオ出演したらしい。誕生日の日にラジオのオンエアがあるって
いうのは、ある意味記念にはなるんかな。
オンエア自体はすっかり忘れてたんでリアルタイムでは聞いてない。
ま、オンエア後の知り合い達の反応からすると、普通な感じ。

4月9日~4月16日
相変わらずの高校営業周り。でも、何校か回った中で、
数校の先生方とかなり長く話しさせてもらい、自分の思いは
十分に伝わったように思う。自分の思いに共感してくれる
教育者の方々を一人でも増やしていくことが、この留学事業の
成功の一つのキーになると思う。と、ずーっと思って
この大学留学事業の準備や、実際の営業をしてきたわけだが、だんだん
色んな先生方と話しをさせてもらううちに、事業の成功どうのよりも
単純に自分の思いに共感してもらい、本当に生徒の進路のことを
考えて話しを聞いてくれる先生がいる、とわかるだけで、
本当に嬉しくなる。そんな思いを持った一週間でした。

4月17日~4月23日
今週は米沢へ行ってきた。仙台から電車で2時間以上かけて
行ってきた。米沢というと米沢牛やなあ、とか思いながら
朝早く電車にのって、初めて行く土地に少しわくわくしながら
行ってきた。ただ、駅について瞬間からは時間との闘い。
車を持っていない自分は、市内の高校4校を、車無しで回らなくては
ならず、駅員さんからの説明と地図とバスの時刻表を頼りに
高校周りをしてきました。
こんなしんどい思いをしたにもかかわらず、ほぼ1日かけて
色んな高校を回ったにもかかわらず、収穫はほとんどなし!
自分の事業や思いへの共感が1校を除いては、ほとんど
感じてもらえず、ひどいところでは、10分ほどでとっとと返された。。。
ま、色んな人がいてるな、って感じでした。

そういえば、予備校の講師を週2回だけやり始めた。
去年と同様、またみんなええやつが多い。英語はあんま好きちゃう
みたいやけど。少しでも英語が好きんなってくれたらええなあ。
でもおれ、教えるの下手やから、どこまでみんなの力に
なれるんやろ・・・、と思いつつも、でもがんばってます。

4月24日~4月30日
今週は色んな人との出会いがあったり、色んな仲間と飲みに
いったり、お世話になってる先生とか社長からまた新たな
人を紹介されたり、と人との関わりが多かったような気がする。
今週新たに知り合った人たちとは今後どのようにつながって
いくかはまだはっきりとはわからないが、出会いは大事にして
いきたい。何かまた発展があったら、その時に詳しくお伝えしますね。

まあ、こんな感じですね。あんまり詳しい報告じゃないですけど。
また書いていきますので、読んでくれてる人は、また今後とも
よろしくです。
明日から5月。気合い入れなおして、またがんばりましょう!

最近のうれし事:
某県立高校の先生から講演依頼がきた。
おれなんかでええんかなあ、と思うけど、話しを聞いてもらう
生徒のために、何か残るような話しをしたい。